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「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち」
内田樹 講談社
2007年の本。子どもたちが学ばないことを志向するのは、自分を消費者と捉え、等価交換の原則を勉強にも当てはめようとしているからだ、という論旨は他の本でも読んだことがあるけれど、鋭い指摘だと思う。
授業をおとなしく聞いてやることの代価は、不快を我慢することである。その授業が役に立つとわかっていなければ、消費者としてそれを聞かなくてもいいし、きくとしても、支払う代価は少なければ少ないほどいい。むしろ少なく済ませるのが賢い消費者である。やる気がなさそうにあからさまに見せつけるのは、買う気がないように見せつけるのが、値切りの基本だからである。だから子どもたちは授業を聞かないことに全力をを集中するのだ、と内田先生は言う。
彼は、自分の子の授業参観に行って、中学生たちが授業に対しやる気が無いことをあまりにも熱心にアピールでするので驚いたという。彼の子どもは、いわゆる高級住宅街とされている芦屋の公立中学にいた。つまり教育水準としては平均以上の場所だ。そんな場所でも子どもたちは、学習意欲が無いことを、体中で表すことに真剣になっていたというのだ。
・・・と、ここまで読んできて、私はちょっと違うのではないか、と思った。たしかに、今、大学3年生である私の息子の世代では、やる気のなさを全身でアピールするような生徒がいた。だが、おちびの授業参観に行くと、皆、驚くほど従順でおとなしい。もちろん、やる気のない生徒はいる。しかし、それを大きくアピールすると言うよりは、居心地の悪さに何とか耐えながら、それでもちゃんと前を向いておとなしく過ごそうとしているように見えるのだ。それは、おちびが小学生の頃からなんとなく感じていたことだ。子どもたちは、総じて従順でおとなしく、言われるがままに行動するようになっているような、そんな感じを受けるのだ。地域性だろうか?〈我が家は高学年で東京から関西に転居している。が、どちらでも私はそれを感じている。)
つまり、内田先生がこの本で書いたのと違う世代が、すでに育ちつつあって、彼らは、また、ちょっと違う様相を見せているのではないか、と私は感じるのだ。実際問題、どんなもんだろうか。
それはともかく。最後に、印象に残った部分を少し引用する。
以前テレビ番組の中で、「どうして人を殺してはいけないのですか?」という問いかけをした中学生がいて、その場にいた評論家たちが絶句したという事件がありました〈あまりに流布した話なので、もしかすると「都市伝説」なのかもしれませんが〉。でも、これは「絶句するというのが正しい対応だったと僕は思います。そのような問がありうるとは思ってもいませんでした」と答えるのが「正解」という問だって世の中にはあるんです。もし、絶句するだけでは当の中学生が納得しないようでしたら、その場でその中学生の首を締め上げて、「はい、この状況得もう一度今の問いを私と唱和してください」とお願いするという手もあります。
うーむ。武闘派の内田先生らしいやり方だ。
2012/3/3
