言葉を失ったあとで

言葉を失ったあとで

2023年3月12日

31 信田さよ子 上間陽子 筑摩書房

信田さよ子上間陽子も、私が心から信頼する人である。信田氏はアディクション、ADの第一人者である。私は様々なことを彼女の著作から学んだ。上間氏は、本は一冊しか読んでいないが、「100分deフェミニズム」でその語り口、表情に心奪われた。人に寄り添うということを体現しているような人であると感じた。それまで面識のなかった二人が、書店で行われたトークイベントを機に、オンラインで四回、対面で最後の一回の対談を重ねて作られたのがこの本である。

読み通すのはつらい本であった。二人は、これまで彼女たちが出会ってきた様々な具体例をもとに話を進める。それらひとつひとつは、どうしようもない息苦しさや閉塞感に彩られていた。上間氏は沖縄で若くして子どもを産んだ女性の調査を行っているのだが、彼女たちの背後にままあるのはDVであり、しかもその多くは性的虐待だという。

家庭内の性的虐待・・つまり、親族、それも父親、祖父、兄弟などによる身体的接触やレイプなどが日常的に行われ、母親や祖母などがたとえそれに気づいていても見ないふり、気づかないふりをする。そういう過去、あるいは現在進行形の問題が、十代で出産する女の子には多くある。そして、それを彼女たちはなかなか言葉にしない。様々な話を聞き終えた後で、そういえば、こんなこともあった、と言い残すように帰っていく子も多いという。

私は出産後、育児に悩む中でいくつかの育児サイトや主婦サイトに出入りするようになった。そういう場では、日ごろ対面では話せないような困りごとや悩みが相談できる。驚いたことに、そこでは、親や兄から体を執拗に触られたり、レイプされたりした経験を語る女性が何人もいた。ひとつのサイトではなく、いくつものサイトで、別人が語るそれを何度も頻繁に目にしたのである。母親が気が付いていないはずがないのに助けてくれなかったことや、実家を離れても冠婚葬祭などでまた父や兄と顔を合わせなければならないという苦痛、そして彼らのほうは平然と何もなかったような顔をしていることなどが共通して語られていた。おそらく、家庭内の性的虐待は、社会が認識しているよりははるかに多い。フロイトがヒステリーの研究をしていて、それが家庭内の性的虐待に起因すると気づいて研究をやめてしまったというエピソードもある。それは、あってはいけないことが、実はひそかに多く行われているという事実を、彼が明らかにしたくなかったからではないか。そんなことがあるはずがないという思い込みが、こういった被害を抑圧し、隠し通したままにしている。先ごろ、本来よき事を成していると言われていた人たちによる性被害がいくつか告発されたケースがいくつもあったが、それこそが「そんなことがあるはずがない」に押し隠されてきた結果なのだと思う。

この対談では、被害者がその性的虐待でどれほど傷ついたかを加害者が認識することは、再犯防止には実は役に立たないことも指摘されていた。相手のトラウマになるほどの強い傷つけ方をしたことは、反省材料になりもするが、一方では、それにより彼らはエンパワメントもされてしまう、と。被害者のトラウマの進度が加害者のパワーになっていく。性的虐待とはなんと闇の深い入り組んだものであろうかと私は気が遠くなる。自分の持つパワーの再確認、承認されたという思いが得られるその根源には、加害者がずっとパワーを持たず、承認されてこなかったという不全感がある。自分を怒らせる妻や子が悪いと言い張るDV加害者も同じだ。だからと言って加害者の味方をするわけにはいかないが、その背後にあるものについては注意深くあらねばならぬという複雑さがそこにはある。

これらのひどく気が重たくなる具体例が語られつつ、対談の主眼は、彼女たちがどのように自分の仕事に向き合っているか、これからどのようにやっていけばいいかが率直に語られている。信田氏が驚嘆したように、上間氏は聞き手として実に的確な質問をし、それによって答える側は、思いもよらない深みにまで潜りこんで新たな考察、発見に至っている。これまで決してプライベートな部分を語らなかった信田氏の過去の経歴などが分かって新鮮な驚きも、納得もあった。

上間氏は、聞き取り調査をするときに、調査対象の女の子とは何かおいしいものを食べる、という。どこで何を食べるかも重要である。スタバでは、気後れして話せなくなる。子連れであればマック、一番喜ばれるのはモスだという。つらい話を、無理強いせずに話してもらい、今まで封印してきた過去を語った後は夜眠れないだろうからときれいなお菓子を少しお礼に渡しもする。本来、調査には謝礼や飲食は禁じ手とされてきたというが、それは調査者の上からの目線であり、何より彼女たちに寄り添うためにはこうしたことは必要である、と上間氏はいう。そういう思いやり、寄り添いというものを持った研究者がいままでどれだけいたのだろう。彼女の、そこにいるだけで感じ取れる温かみはそういう心のあり様からにじみ出ているのだろう。

あまりに重い内容で、読み終えた晩はなんとも寝付けない思いであった。再読が必要な本ではないかとも思うが、少し時間を置きたい。この本の存在を教えてくれた、大学時代の同級生に心からお礼を言いたい。

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サワキ

読書と旅とお笑いが好き。読んだ本の感想や紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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