みんな彗星を見ていた

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2021年7月24日

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みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」星野博美 文藝春秋

「コンニャク屋漂流記」で、紀州から外房の岩和田へと移り住んだ祖先のルーツ探しをした作者である。その岩和田という漁村で1609年、メキシコのドン・ロドリゴの船が難破した。村人は総出で彼らを助け、今でもメキシコとこの町は大いに交流がある。作者は、自分の中に、もしかしたらロドリゴ一行の血が流れているのではないか、と妄想する。

また、作者は天正遣欧少年使節が秀吉の前で演奏したと言われるリュートを弾きたいと考え、レッスンを受け始める。リュートの習得、マイリュートの作製の過程とともに、キリシタンの歴史が紐解かれていく。

キリシタン弾圧の歴史は驚くほど歴史の中に埋もれている。残虐な出来事が多かったこともあるし、関係者がほぼ皆殺し状態のため、言い伝えられるものが少なかったこともある。忘れ去られた歴史なのだ。それを作者は多くの資料と、実際に現地に足を運ぶことで丁寧に調べあげていく。

読み終えてから思い出したのだが、私は小学生のころ、たぶん今西祐行の作だと思うのだが、隠れキリシタンを描いた児童文学を読んでいる。いわゆる「浦上崩れ」(江戸幕府が寛政2~慶応3年(1790~1867)にかけて4回にわたって長崎浦上の隠れキリシタンを弾圧した事件)を題材にしたものや、宗教画を描く勉強をしていた少年の物語などだ。少し大きくなってからは、遠藤周作の転びキリシタンを描いた作品も何度か読んだ。

そうした物語に惹かれたのは、私自身が家庭における転びキリシタンであったからかもしれない。キリスト教に疑問を持つ者が、隠れキリシタンの悲劇を知りたいと思うのはどこか矛盾しているように思う。が、この本の作者も、ミッションスクールの出身で、キリスト教にある種の興味を持ちながら、結局クリスチャンになることはなかった。そういう立場の人間が隠れキリシタンに興味を持つ心の動きが、私には何となく分かる気がするのだ。

日本におけるカトリック布教においてイエズス会と托鉢修道会の派閥争いがあったことを私は知らなかったし、スペインとポルトガルが日本到達のための航路を分けていたことも知らなかった。彼らは一枚岩ではなかったのか、と驚いていると、夫はそんなことは有名だし知っていた、という。やっぱり世界史をちゃんと勉強していないとダメだなあ、と思う私である。一方、夫は天草の乱でオランダが原城を砲撃したことは、日本史では有名なのか?と聞く。そりゃそんなことはとっくに知っていたよ、と私。かくて我が家の世界史担当と日本史担当は、それぞれに知識をひけらかし合うのであった。

長崎では今、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」をユネスコの世界遺産にしようとしているという。が、どんなふうにキリシタンの弾圧が行われたのか、どれだけの人々が殺されていったのかは歴史の中に埋没したままだ。恐ろしい歴史を忘れ去ったまま、都合のいい部分だけを切り取って世界遺産だと観光化を図ることに、作者は疑問を呈している。この本が多くの人に読まれることで、忘れ去られた歴史を掘り起こそうとする歴史学者が出てほしい、と私も思う。人を救うための宗教が、人を分断し、人を殺す歴史はいまも繰り返されている。過去を学ぶことで、私たちはこれからの世界のあり方を考えていくべきだろう。

2016/1/13