「それでも家族 夫が大麻を育てた日」武村みゆき
政治家武村正義の長男とその妻、それに長女が2007年、大麻不法所持で逮捕された事件をご存知ですか?これは、その張本人、長男の妻であるみゆきさんが書いた本。彼女は、武村氏の秘書だったこともある人だ。武村氏の長男が育てた大麻を、義姉と相談して、山中に廃棄したことから逮捕され、最終的には、彼女と義姉は不起訴となった。長男は、執行猶予付き有罪。
長男は、中学生くらいから飲酒を覚え、アルコール依存症から、内臓疾患で生死の境をさまよい、生還後、大麻を育てて吸引するようになった。この本によれば、政治家として忙しい父親、歯科医として忙しい母親、家に次々と送り込まれる高級洋酒、そして、政治家の息子ということから、いつも立派でいなければという抑圧と、日教組の教師や、同級生からのいじめによる不眠を克服するために、飲酒を覚えたのだという。
飲酒を楽しんだことは一度もなく、ただ、眠るために、就寝直前に、酒を浴びるように飲んでいたという。そして、依存症。やめるといっては、断酒の苦しみを味わい、また、ひょんなことから飲酒し、周囲に迷惑をかけてはまた断酒を誓い、失敗し、を結婚当初から何度も何度も繰り返したという。
武村正義という政治家は、とても立派な人だと思う。でも、同時に思う。正しさは、時にひどく残酷にもなる。どこまでも正しく、人のために自分を犠牲にすることが当たり前の家庭で、正義のために日夜働く親に育てられる子どもは、どれだけ辛い思いをするか。人間は、いつも正しく人のために自分を殺し続けられるほど、強くはないから。ましてや、子どもは、わがままで、自己中心的で、いい加減なものだ。そうであることを否定された子ども時代は、死ぬほど辛い。それは、私も知っている。
この本で一番興味深かったのは、依存症治療の権威である医師が、清廉潔白な政治家武村氏に「私は、武村先生を尊敬申し上げています。その尊敬する武村先生に申し上げます」と前置きした上で、依存症患者が一番してはいけないことは、反省することである、と強調したことだ。激しく反省させ、非情だと思われても厳しく接しようと覚悟を決めた家族に、「反省だけはさせるな」と言明したのだ。
「ご家族の皆さんは、彼に期待しないでください。彼のことは彼に任せ、彼がしたいことだけをさせてください。説教はいけません。アドバイスもいけません。依存症になった原因の究明をしようとしてもいけません。すべてが依存症回復の妨げになります。ただ、ご家族のみなさんの感情を押し殺して、彼に遠慮して接するようにと言っているのではありません。彼にどうこうさせようとか、してもらおうとかいう感情を持ってはいけませんが、ただ、自分はこう思っている、こう願っているという自分の気持ちを彼に伝えることは、大いにしていただいて結構です。放っておくのではなく、見守ってください。この違いが分かりますか?」
(「それでも家族 夫が大麻を育てた日」武村みゆき より引用)
私が、薬物やアルコールや、その他様々なものの依存症患者に関わる書物を読むたびに感じていた違和感が、ここで少し解明されたような気がする。結局、依存症になる人は、自分の人生を生きていないということなのではないか。誰かから期待されたり、誰かが正しいといっていることをやろうとしているだけで、本当に自分がこうありたいと思ったり、自分で選んで、結果がどうであれ、自分でやり遂げようと思ったことを最後までやり通すような体験を阻止され続けた人なのではないか。例えそれが、とても正しいことであっても、自分で選んでいないことをやり続けるのは、自分自身にとっては、実は、正しくないのかもしれない。見守るという行為は、実に難しいけれど、その人を信頼することだし、信頼するという行為は、例え間違ったとしても、間違った結果をその人がすべて自分で受け止めていくと認め、負わせる勇気なのかもしれない。
私はいつもいつもいろいろな場面で同じことを考え、何度も書いてきて、自分でもしつこいなとさえ思ってしまうのだけど、結局は、自分を信頼できるか、肯定できるか、自分で自分の人生を選び取れるか、自分が生きていることを大切だと思えるか、自分の足で立っていられるか、そういうことが、人には一番大事なんじゃないかと思う。親が出来ることは、そのために、あなたが生まれてきたことはとても素晴らしいことで、あなたの存在は、ただそれだけでとても意味がある、と伝え続けることなんじゃないか。
自分を肯定することを恐れる子どもたちが、たくさんいる。肯定することは傲慢で、成長を妨げ、怠けることに繋がると思い込んで、今だってがんばりすぎるほどにがんばって誰かの期待に答えようと自分をすり減らしているのに、まだ足りない、まだ自分は駄目だ、自分はどうしてこんなにできないのだろうと言い続ける子どもたちがいる。私は、彼らが痛々しく、心配でならない。なぜ、自分を肯定し、がんばっている自分を認め、そして、自分の人生を自分で選ぼうとしないのだろう。それは、堕落ではなく、自分の足で立って自分の人生を生きていくための基本だというのに。自分を信頼せずに、他者を信頼できるはずもない、そして、誰も信じられない人生ほど、むなしいものはないというのに。
そんなことを、考えながら、この本を、読んでいた。
2009/1/7
