59
「生きるとか死ぬとか父親とか」ジェーン・スー 新潮社
私はラジオリスナーであるので、ジェーン・スーというと「生活は踊る」という彼女の番組を一番に思い出す。が、彼女は講談社エッセイ賞を受賞したエッセイストでもあるのだ。「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」は中年に差し掛かった女性の率直な思いを書いた秀逸な本だった。そして、今度はこの本。面倒でいろいろ問題があり、素直に愛情を表現できないというか、したくもない父親と向き合って書いてみたこの本もまた、まっすぐに心に響く、ごまかしのないものであった。
女性をたらしこむと言うか、良い気持ちにさせる技術に長けた、ヘラヘラした父親。母を若くして亡くした筆者が、その父に感じた苛立ち、怒り、諦念、そしてその根底にある愛情を冷静な目で見つめ直して文章にしている。その立ち位置は、非常にフェアである。
この父親、相当いい加減である。娘の稼ぎにおぶさってくるし、話は聞かないし、わがままだし、かつては母を泣かしたし、事業は失敗したし、実家を失ったし、そして反省の姿勢が見られないし。
作者はそんな父を淡々と描いているのだが、それを読みながら、私は私の父を思い出すのである。私の父は、もっとひどかった。と、思うのだ。思い出せば、怒りが湧いてくる。あの時、ああ言えばよかった、こうすればよかった、もっと戦えばよかった、と思う。一方で、私も十分戦ってはいたのだ、とも思う。たぶん、ひどく傷つきもしただろうし、私を怖がりもしていたんじゃないか。誤解も山ほどあっただろう。彼にはどうしようもなかった、それ以上は彼のキャパを超えていた、ということもたくさんある。でも、もう、それらは全て、消えたのだ。二度と取り戻せはしないし、今からできることはなにもない。そういった喪失感を、改めて確認してしまうのである。
そう思うのは、たぶん、作者は、父親が生きているうちに、きちんと対決しよう、と思っているのが伝わってくるからではないか。安易な「そうはいっても愛情が」的なお涙頂戴、家族愛ストーリーには一切落とし込まれない。公平な眼が、父親も自分も離れたところにおいて見定めようとしている。それがわかるからではないか。だからこそ、もうそれが出来ない、ということに私は気づくのではないか。
ラジオで、伊集院光とジェーン・スーが東京散歩をするという番組企画があった。ジェーン・スーが、「ここが私の昔の実家」と歩きながら話してくれたことは、それだけで一冊の小説になるくらいの深さがあった、と伊集院が語っていたが、それの片鱗が、この本にはある。ある建物の中に込められた家族の物語が広がるであろうことが感じられる。
2019/7/12
