97
「燃えよ剣」 司馬遼太郎 文藝春秋
「新選組血風録」でXANTHさんのコメントに出ていたので、読みたくなりました。がっつり、読みました。XANTHさん、いつもありがとうございます。
「新選組血風録」や「輪違屋糸里」に出てきたエピソードが重なって、なるほど、同じ人物、同じ時代を読み比べるのは興味深いなあ、と思いました。
無骨で政治好きの近藤勇、喧嘩師で、政治嫌いの土方歳三。この本を読むと、多くの男性陣は土方歳三、カッコイイぞ、となるのかなあ。すごく正直な感想を言ってしまうと、近藤勇は頭が悪すぎるし、土方歳三は脳みそまで筋肉になっちゃってるみたい。
毎日、ばっさばっさと人を切って回る、脱退者は切腹させる、路線にそぐわないものは暗殺する。当時の社会観、価値観では・・というより、戦とはそういうものだということなのだろうけれど、やっぱり新選組は好きになれない。
余談だけれど、その昔、ベイルートで重信房子と中山千夏が対談した記録を「話の特集」で読んだのを思い出した。無差別殺人は許されるのか、と問いただした中山千夏に、重信房子は、戦争とはそういうものだ、と答えたのよね。その時に慄然としたあの感覚を思い出した。
土方は、函館で、昔からの仲間をずいぶんと逃してやっている。官軍が函館まで来たギリギリの場面でも、歳若い市村鉄之助を、自分の最後を兄に伝える使者として、写真と金子を託して江戸へ送っている。自分は死に場所を見つけたけれど、お前たちは生き残れ、と。
これ、感動させるよね。
って、いいのか。
今まで、さんざん人を切っておいて、自分の仲間だけ、逃して。
と、やっぱり思ってしまう。
明治維新って、実はすごい綱渡りの連続で実現したものだったのだなあ、と改めて思う。いろいろな局面で、どう転ぶか分からないことはたくさんあった。そっちへ転んだら、どうなったかは、誰にも分からない。
ただ、歴史を動かしていたのは、ものすごい豪傑や英雄たちじゃなくて、血肉の通った、当たり前の人間たちだったのだなあと思う。賢くて鋭い人間ばかりじゃなくて、間違ったり失敗する人間、魯鈍な人間も、歴史を動かしている、と、改めて思う。
京都在住だったとある人が、新選組の思い出を、昭和になってからとある中学校で講演した、というエピソードが何気なく載っていて、私にはそれが衝撃的だった。
つまり。
そんなに最近のことだったのだ、新選組って。私たちの親たちの世代には、まだ新選組を生身で見た人の証言が聞けたのだ。
逆に言うと、いま、学校で、戦争体験を老人から聞くという体験授業がたまに行われるけれど、それと同じようなものか!と思うと、衝撃的なのだ。歴史は、そうやって流れて、過去のものになっていくのだなあ、としみじみ思ってしまった。
土方歳三も、近藤勇も、写真で顔がみられるものね。ついでに言うと、イケメンだったはずの沖田総司の写真は、なんだかなあ、だ。まあ、写真技術にも問題はあっただろうし、表情もあるしねえ・・・・。
司馬遼太郎という人は、ものすごく勉強して、資料にあたって、緻密に物語を作る。それは、すごい、素晴らしい。だけど、漢というものを描きたい、というこの人の基本姿勢に、軟弱おばさんの私は、どこかで引っかかってしまっている。それは、なにかなあ。中学生の頃には、もっと素直にわくわくと司馬遼太郎を読んでいたもんだが。
2011/8/23